「日本支部所属、下二級祓魔師 ・ファウストです。」

「入りたまえ。」


枢機卿であるエルンスト・フレデリク・エギンは、日本支部から出た幼すぎる祓魔師を自身の執務室へ招き入れた。


10歳にも満たない幼い子が、何故称号試験に通ったのか純粋に興味があった。

また優秀であるなら、日本支部から本部へ籍を移させて英才教育を施し、聖騎士候補として育て上げたいという思惑もある。


ゆっくりと扉が開かれて、中へ入ってきた子供は不似合いな黒い祓魔師のコートを着て口に弧を描き、にこやかに立っていた。

…… この顔を、自分は確かに知っている。誰かに似ている。

メフィストの子供なのだから奴に似ているのだと判断するが、悪魔は果たして遺伝などしただろうかとも思考が過ぎる。


―――… バタン!


ドアが音を立てて閉じられた。 やけに大きく響く。

自分の鼓動が大きく聞こえる。…この私が緊張しているのか? こんな小さな、子供に。



「お初にお目にかかります。」

「そう固くならなくてもいい。 さ、座りなさい。 ココアでもどうかね?」

「いただきます」


子供にしては固い口の聞き方に、メフィストの奴がきちんと教育をしているのかと思うと可笑しい。

奴め、自分の子供を使って本部に胡麻を擦りにきたか…… !


小さく鈴を鳴らして、外で待機している者に飲み物を出すよう言いつけた。

またドアが閉まり、今度こそ2人きりになる。


子供は背筋を伸ばして、ソファに腰を下ろしていた。 緊張している様子は感じられない。

自分も、執務机の椅子から子供の前のソファーへ場所を移す。



「こんなに幼いのに称号試験にパスするとは… 将来が楽しみだな。」

「ありがとうございます。… その、それで…私にご用件とは?」


表面上緊張していないように見えるだけで本心はがちがちに緊張しているようだ。早く本題に入りたがっている。

他の者なら適当な話をしてもう少し心細くしてやるものだが、まあ今日は話を先に進めるのもいいだろう。


「優秀な祓魔師が出たと聞いてね。 一度顔を会わせたいと思っていた…。

 君さえ良ければ是非本部へ籍を移したい。 日本支部以上の、実践的なエクソシスムを学ぶ場を提供しよう。」



枢機卿である私からの直々の誘いをよもや、断るはずもあるまい。これは決定事項だ。 

強い戦力を育て、悪魔を下へ追いやるための道具に、彼にはなってもらうこととしよう。



「顔を、ですか…… 私の顔に見覚えがありませんか?」

「……… ああ、お父様の顔によく似ているようだな、。」



私の出した誘いに乗らないばかりか、聞かなかったことにして話を進めるとはなんと無礼か!

… ああ、いや、相手は小さな子供だ。こちらが大人になってやらなくては。

まじまじ、と子供の顔を見て、最初に汲んだ印象をそのまま伝え、しかし口に出してもやはりそれには違和感がある。



「…おやおや、自分の子供の顔も覚えていないとは、人間は本当に愚かだな。」

「な…… なんだと… お前、まさかメフィストの刺客か!」



私に居る子供は、娘一人だけだ!

剣呑な空気を感じてソファーから立ち上がった。先ほどまで温和な笑みを浮かべていた、大人びた子供はもういない。

今は暗く笑う、得たいの知れない子供の皮を被った何かに変貌を遂げている。



「はっはっはっは! ……まったく…、コイツの魂はお前に会うことを待ち望んでいたというのに。

 貴様ときたら! 顔も、ましてや存在すらも覚えていないとはなぁ… これはいいお笑い種だ!」


「どういうことだ…? …… もしや… あの時の…、いや、あれはきちんと」

「始末できていなかったから此処に居るんだよぉ?お父様。

 どうして僕を捨てたのぉー?  やっぱり、女中に産ませた子供が長男では格好がつかないからですかぁ?」



いやそれはありえない!

あの子供は、女と一緒に金を持たせて邸から追い出したのだ!私は恨まれることは何もしていない!!

体が硬直して動かない。 子供の顔が崩れて、耳が、尖って、大きく目が見開いた。


「…! 復讐心から、悪魔に魂を売ったのか…!なんと愚かな!

 しかし何故貴様此処に侵入できている!」


「それはぁ、此処に入るときはコイツの魂を前面に出したからでぇーす。

 もう少し警備考えたほうがいいよ?」


祓魔師としての、対悪魔用に装備しているナイフを子供はゆったりとした動作で取り出して、私の鼻先へ切っ先をあてた。

動けるはずが、動けない。――― しかし此処はヴァチカン本部。 悪魔単身で乗り込んできて何が出来るというのか!


「お前を此処で八つ裂きにしてもいいけど、私はもっと事態を面白くしたい。

 お前は家の名前を大切にしているのだろう。――― それを穢してやる。

 これから先、お前は恥辱と没落の中に生きるのさ……… 想像してみろ! 楽しいだろ?」


「悪魔一匹で何が出来る!」



そろそろ、飲み物を運ぶようにと言いつけた者が戻ってくるはずだ。

そこに勝機はある。 それまで、この悪魔が握っているナイフを動かさないように会話を続けなければ―――…



「私は唯の仕掛け人。語り部だよ。 

 実際に舞台へ上がるのは私じゃぁない…、そしてぇ? お前でも、ない……」


「どういう…?」「しっ、 本部を壊滅させられたくなかったら、ソファーに座れ。」



今お前は私に、高らかに宣言したじゃないか。


反論をしてみるも、この悪魔は私の声など聞かずこの私に命令を下した。

眼光に射抜かれて従う。屈辱だ…!

悪魔はナイフを鞘へ収め、腰に戻した。このまま去ってはくれないだろうかと、甘い考えが過ぎるがそんなことは断じてない。


コンコン


「お父様? お茶をお持ちしましたよ。」

「ユリ……!」


扉がノックされ、外から声を掛けられる。

何故お前が持ってきたのだ…! それも、このタイミングで…!

こいつはユリが近づいてきたのを感じてナイフを引っ込めたに違いない。


「お父様? 入っても?」「返事をしておやりよ。 可愛い一人娘だろう…」

「…開いている、入りなさい。」


扉を開けて入ってきたユリは私服で、たまたま休みに本部へ来ていたことが予想できた。

何故だ、何故今日此処に居るのだ?


「はじめまして、・ファウストです。」

「はじめまして、…… ユリ・エギンです… もしかして貴方、祓魔師なの…?」


飲み物を載せたカートを押して、私たちが向かい合って腰を下ろしているソファーの間にあるローテーブルへと

それぞれの飲み物を給ししているユリに、奴が話しかけた。

ユリは幼い子供が祓魔師の格好をしているのを見て、驚きと興味を示す声を上げた…… やめろ、今すぐ部屋を出て行ってくれ!



「はい、先日称号試験に通りました。… 今日は、枢機卿に呼ばれて…… これからよろしくお願いします。」

「こんなに小さいのに…、よろしくね。」



正十字騎士團創設以来の快挙じゃないかしら!

素直に、奴の差し出した手を握って、にこやかに握手を交わすユリに気が気ではない。

飲み物を出したのだからさっさと退出すればいいのだ、そうだ。


「ユリ、私はまだ彼と話があるのだ。」

「あ、そうですね、すいません。 では失礼します。」

「はい、また」


なるべく動揺している心中を悟られないよう、心積もりをして言葉を選ぶ。 どちらも素直に下がったのを見て安堵した。

カートを押して部屋を退出したユリが十分に離れるまで、互いに顔を睨みつけ一言も発さない。



「…… 中々、可愛らしいお嬢さんではないですか?」

「貴様に褒められても嬉しくは無い」「つれないな、彼女は私の姉だった人ですよ…… 



 まあつまり、この体が私を受け入れたように、彼女にも受け入れるキャパシティーがあるわけですがね。」


「貴様……! 一体何を考えている!!」


「面白いことですよ。」



まさかお前、ユリの体を乗っ取ろうって言うんじゃないだろうな!

こちらが、地の有利を有しているはずなのに、向こうは少しも余裕を崩さない。


「そろそろお暇させていただきます。 お父さん、僕からのプレゼント、楽しみにしていてくださいね。」


目の前の、テーブルに置かれた珈琲を手にとって威嚇のために悪魔へ掛けた、と同時に再度、部屋の扉がノックされる。


「枢機卿ー? 藤本です。」

「藤本! 入れ!」

「失礼…… ? 何してるんすか?」

「何も、この悪魔を…… 悪魔を、…? どこだ、どこへ行った!?」


部屋へ入ってきた藤本に気を取られ、ソファーから目を離したのはほんの少し。

その間に、あの悪魔は消え去っていた…… いや、部屋の窓が開いているから、そこから逃げたのだろう。


「緊急手配だ! 本部内に悪魔が侵入した――― メフィストの手引きだ!」

「外見は」「子供だ… 先日、祓魔師の称号を取得した ・ファウスト!」


ソファーに珈琲を掛けた私の姿を驚いて見ていた藤本の表情がさっ、と変わる。

コートを翻して足早に部屋を出て行った姿に、藤本獅朗に任せたのならば捕まるだろう、と気を落ち着かせた。


私を虚仮にした報い、早々に受けてもらうぞ、悪魔―――!



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