「ああ、これは中々、しっくりキますね」
父に物質界へ上がれと言われてから幾日か、漸く目当ての器にたどり着いた。
もっとも、物質界へ来て早々祓魔師たちに目をつけられたのでは面白くないので、取り憑いても問題にならない人間を選んだ。
これが中々に苦労したもので、普通に生きて社会に溶け込んでいる人間に取り付けば直ぐにバレてしまう。
以前体験させられたので学習している。 その点、戸籍も無いような子供に取り付くのは非常に簡単だ。
無垢な子供の魂は綺麗であるし、白であるがために黒く染まりやすい。
「ふむ…? なるほど、どこかの貴族と女中の子供というわけですか。
捨てられたのだね可哀想に。 まあ、どこにでもある話しですが。」
ポキリ、と首を鳴らして器の記憶を反芻させた。母親が死んで屋敷を追い出されたらしい。
このまま魂を喰らってやっても、眠らせてやってもいいものだが、それよりももっと面白いことを思いついた。
実行に移すには、是非メフィストも巻き込んでやりたいところだ。 アレは何よりも面白いことが大好きだから。
だが今は物質界で祓魔師の味方についたはずだ。しばらくは戻らないのだ、と伝言をしにきた悪魔が言っていた。
さぁて、どうするか。
本部が慌しくなったのは、丁度自分が三賢者と謁見していた時分だった。
どうにも情報が錯綜しているが、まとめて聞くところによると、虚無界から上級悪魔がやってきているらしい。
さてはて、兄弟たちの間でこちらに来るという話は此処最近とんと耳にしたことはないし、一体誰がやってきたのやら。
「フェレス卿」
「おや、誰かと思えば聖騎士殿。何か御用ですかな?」
三賢者から、対策会議を練るという名目で謁見もそこそこに部屋を追い出され、廊下に出ると待ちかねたように一人の男が立っていた。
黒衣に身を包んだ中年の男、現聖騎士だ。緊急事態に、なぜここで油を売っているのか。
「貴公なら、私の言わんとすること、既に理解しているであろう。」
「さあ? 私には人の心を読む能力は備わっていませんので。」
肩を竦めてそ知らぬ振りを決め込んでやれば、相手の機嫌が直ぐに悪くなるのが分かった。
騎士團内部で私に対する反発はまだ大きい。 その筆頭がこの男だ。 手騎士が悪魔を使役して遣っているように、
私のことも悪魔を倒す道具として使えばいいものを、どうも潔癖すぎるきらいがある。
そこがまた、聖騎士になれた所以でもあろうが―――…
首筋にひやりとした感覚が当てられ、目を細めた。 どうも短気でいけない。
魔剣を首筋に当てられても、私は悪魔であるから脅しになんてならないこと、この男、気がついているのかいないのか。
「フェレス卿。私はふざけているつもりはない。」
「私だって大真面目ですよ。 ご用向きはなんですか?」
「悪魔が暴れまわっている。 手を貸せ。」
苦虫を潰した顔をした男の声は、地を這う色で私を楽しませる。
この男から、手を貸せなどとよもや言われるとは誰が想像しようか?
歪む口元を押さえられない。 首筋に当てられたままの魔剣を片手で掴んで無理矢理下ろさせた。
「珍しいこともあるものですな。 おっと! 怒らないでください。事実ではありませんか。
それで? どうして欲しいのです。」
「だから手を貸せと!」「具体的な話を私は要求しているのです、聖騎士」
まさか私を野放しにしてその悪魔と戦うつもりはないでしょう?
普段から信用していない悪魔と一緒に、命をかけて別の悪魔を祓いに行くわけだ。
それなりに行動が制限しないと、後ろからあくまでもうっかり、と攻撃が来るかもしれないだろう。
ニタリニタリ新しい玩具を見つけたと笑う私を今すぐ殺してやりたいのだろう男は、魔剣を鞘に仕舞いこんでため息をついた。
「相手は魔眼だ。」
「それはそれは…… 確認して置きたいのですが、誰か死にましたか?」
まさか、兄弟の中で一番ありえない悪魔が下から上へと上がってきていた。
姉でもあり兄でもある彼は、決して魔人の傍を離れないはずだが…… どういう心境の変化だ?
創造主たる魔人以外、あの眼に見られたが最後、死を迎えるという悪魔。
「いや。…… 実質的には死んでいるのだろうが、戦ったものは皆石に変えられた。」
「なる、ほど。
では勝機がありますな。」
石にする程度など、彼にとっては遊びのようなものだ。
…目隠しをしていたから、それの効力で未だ本気を出していないということも考えられる。
使い魔に伝言を頼み、今私が正十字騎士團に所属していることは知っているはずだ。 何故そのように目立つ行動、を。
「勝てなくては困る。 そのために貴公は居るのだ。」
「…… 努力はしますとも。勿論。」
悪魔を退ける最後の砦が悪魔など、いいお笑い種だ。なぜ、与えられた理性を上手く使い、悪を退けようとしないのか。
そこが人間の愚かしいところであり、また興味深いところでもある。
第一、突然舞い込んだこの愉快な出来事、楽しまずにはいられまい。