「メフィスト。 藤本を巻き込め。」
ヴァチカン本部の廊下を悪魔二匹が大手を振って歩く。
中は静まり返っていた。 奇妙な静寂だ。
本来ならサタンの襲撃に慌てふためいているはず…… 誰もが魔人に燃やされた後か。
兄の言葉に、藤本の間抜けぶり思い起こし、笑いながら返した。
「当に巻き込まれていますよ、あれは。」
「あぁ、それもそうだな…… 今は被害者だろう? そうではなく、当事者にしてやれ。」
「関わらせろと…、 確実に危険因子になることがわかっている魔人の子供を殺すに決まっています。
折角此処まで進めたのが全部無くなってしまいますよ。」
地下へ下りる階段の前で立ち止まり、兄の旋毛を見下ろす。
冷徹と恐れられているあの男を関わらせるとなると、双子の命が危険に曝されることになる。
唯でさえ、大多数の人間に望まれず生まれる子供なのだ。
私情を悪魔に持ち込まない藤本は、あの双子を見ればその場で始末をつけようと考える。当然だ。
「なんのために、私が半年間…あの男に師事していたのだと思う?」
「兄上、高々半年ですよ。 何をするにも、短すぎます。」
相手は祓魔師ですよ?
悪魔に精神を乗っ取られないように普段から自分を厳しく律しています。
の思っても見なかった考えに目を丸くした。 藤本は兄が考えているような単純な人間では、決してない。
「崩さなくてもいいさ。 少しの隙間に入り込めればね。
私の半年間は藤本に、心の棘として刺さっていれば十分。 第一、彼の心が揺らぐ一番の原因は私ではないさ。」
「どういう…?」
「私があの女を器に選んだ理由と同じ理由だ。
第一、今本部に動ける祓魔師は奴しか居なじゃないか。」
結局のところ、藤本が関わるしかないんだよ。
身長差で兄の顔は見えないが、きっと、愉快だと笑っているに違いないと思った。
つべこべと煩いメフィストを黙らせて段取りを整え、自分は父上の所へ向かう。
今頃あの女を助け出しているところだろう―――……、こっちか。 焦げ臭い匂いと、父上の炎の気配がする。
「いやぁああああああ―――っ!」
叫ぶ女の背後には、磔の十字架、下には薪。 昔からの規則に従って魔女を火炙りにしようとしたのだろうことが伺える。
よくよく目を凝らすと、その十字架の後ろに、青い炎がちらついていた。父上だ!
「こちらにいらっしゃいましたか、父上。
私めが力を、お貸ししましょう。」
『! 今更出て来てなんのつもりだ…』
「なんのつもりも何も。 逃走のお手伝いです。やましいことは一切ありません。」
地を這う声を出す父上だが、器である枢機卿の体が限界を迎えていることは分かっている。
自分がこの女に手を貸してやれないことも分かっている。 私に頼るしかないのだ。
周囲を祓魔師たちの死体に囲まれて、自分の父親を犠牲にしてしまった女は美しかった。
死と悲しみは人間を美しくさせる。
『…… ユリ、こいつと一緒に……、行け…』
「… 彼と…?」
「怪しいものではありません。 この体は貴女の弟だった人間の体、そして中身は貴女の夫である魔人の、子供です。
要は腹の中に居る子供の叔父ですね?
二人とも迷っている暇はありませんよ! 私の手を取るしかない。」
こんな口上はメフィストの得意とすることだが、今は居ないのだから仕方がない。
それよりもさっさとこの場所から出してやらないと、陣痛でも始まったら面倒だ。
『ユリ…!』「わ、わかったわ魔人……」
泣いて顔を歪める女は、朽ち果てていく父上の器に寄り添って額にキスを送る。
もうどちらにも会えないことをわかっているのだ―――、物分りのいい人間は好きだ。
「では失礼して。」
「きゃっ、」
『―――、、』「わかっています父上。 何事も貴方の意のままに。」
女を救えと言うのだろう? 子供も救えと言うのだろう。
そんな約束の前よりも優先すべき課題を貴方は私に課したじゃないか――、全ては物質界を手に入れるための駒ですよ。
女の前にしゃがみ込んで首下と膝下に腕を差し込んで持ち上げた。
ついに崩壊し始めた枢機卿の体を放棄した父上とは最早連絡が取れる手段はない。
さぞかし歯がゆいお気持ちでいらっしゃることだろう。
「それで、何処へ…… 向かうの?」
「安全な場所に。」
片手で抱きかかえ、自由になった腕でその辺りに転がる人間からコートを剥ぎ取ったのを女に掛けてやった。
これから一飛びするのに、これ以上体に負担が掛かってもらっては困る。
「そう……っ…!……ふ、……」
「まだ我慢できるな? 力むなよ。 直ぐに着く。」
顔を顰めて返事をした彼女の表情を見るに、陣痛が始まってしまったようだ。
安心したのか、緊張感が極限まで高まったためか…… 背中から、器の皮を破って六対の羽を広げた。
この子供が生まれたら私の物質界での役目が終わる。 この器とも別れる。
少しばかり本性を覗かせる程度、支障は来たさない。
「うぁ……っ!」
物語は終焉へ。
下り出した坂を止まることはなく。
種族を超えた愛など、存在することはできないのだ。
その痛みは、父上の長い時を少しは紛らわせてくれることだろう。