突然の呼び出しに、面倒だなと思いつつも上司なので断ることは出来ない。

処理していた書類を諦め、枢機卿の部屋へ向かうために廊下を歩く。

やけに人とすれ違わないな……、人払い済みか?

自分の足音しか響かない廊下に、これはまた碌なことを頼まれないな、と確信した。



無駄に重厚な作りの扉を軽いノックし、入室許可を待つ。

直ぐに入るよう言われ、部屋の中へ体を滑り込ませた。後ろ手で扉を閉める。

挨拶もそこそこに本題へ話を飛ばした。



「で、なんすか」

「…――― ユリが行方不明になった。」

「………、ユリが…?」


普段よりもさらに表情を険しくした枢機卿は先日悪魔に襲われたばかりだった。

一部の限られた人間にしか知らされては居ないが、悪魔に憑かれた祓魔師はメフィストの息子。

陰謀を疑う声が直ぐに上がったが、相手はあのメフィストだ。尻尾をちらりとも見せず、

器用に立ち回って見せ、悪魔お得意の口上で陰謀を疑う声を塞いだ。


今ではその話が、会話の端に上がることすらない。


そのメフィストからの警告を自分の警告として枢機卿に進言したため、この男の娘であるユリ・エギンは

年中人手不足である祓魔師の職についていながら候補生が行なうような任務や、単純な調査任務しか回されていなかった。

―――…、それが、行方不明。なるほど、慌てもする。



「一緒に行かせた祓魔師は死体――、いや、炭化して本部に運び込まれた。 ただ事ではない。」

「…わかりました、それでは調査してきます。」


この険しい顔から読み取れることは一つ。

単純な任務を自分としては言い渡したつもりであった、ということ。

それも護衛までつけて。


あー、やれやれ…… 俺はアンタの便利な駒じゃねぇんだけどな。

しかし好き勝手やらせて貰っているのはこの人の後ろ盾があるからで、文句は言えない。

―――そう思えば日本支部に居た時は開放感があったな… あの道化師は元気にしているのだろうか?








「や、メフィスト。」

「兄上!?……、いつ物質界に?」


通常業務を部屋でこなしていると、背後の窓ガラスが固く叩かれた。

自分の邸は最上階にある。結界の頭頂部、外に一番近い。よって此処から干渉してくる悪魔も多い。

大方、結界に弾かれた哀れな悪魔の音だろうと判断し、しかし念のため振り返った。


予想通り、悪魔はあっていた。

間違っていたのは、その悪魔は結果に弾かれていなかったということ、


そして、自分の結界の裏口を知っている悪魔だということ。



「まあそう驚くな、メフィスト。このぐらいの気配読めるだろう?」



慌てて立ち上がって窓ガラスを開け、窓ガラスを叩いた悪魔を迎え居れる。

先日、父への土産を手に虚無界へ戻ったと記憶していたが……いつの間にかまた上へ戻ってきていたらしい。

この兄は、父の傍を離れることなど滅多にない。最近物質界へ来たのは父のお使いを果たすため…、

今回も自主的に上へくるとは考えづらい。


「いいえまったく…、兄上が本気になれば私程度吹いて消えてしまいます。…下に居たのでは?」

「ん? ああ、父上が随分とご執心でね、上にずっと居るから… それの付き添い。」



久しぶりに会う兄にソファーへ座るよう進め、紅茶を入れに動く。

やはり父と共に上へ来たと言った兄、

に軽く例の<土産>話を話題に出した。


「なるほど、上手く行っているのですね。」

「そうとも、上手くいっている。 ……そう、仕組んだ。」



ティーポット、カップとソーサー、それから砂時計をトレーに載せてテーブルへ置いた。

 

の前へ腰を下ろすと、暗く笑みを浮かべた彼がこちらへ視線を合わせる。

今日は、実に機嫌がいい。



「ふっ、ふふふ… ただの人間が、父上の炎に耐えられると思うか?

 祓魔師ならば可能だろう…… しかし、それだけでは…… 駄目だ。」


「強い祓魔師の方がより確実ですね…… そうなると、藤本獅朗はうってつけだったのでは?」

「藤本は駄目だ。 心が強すぎて入り込めない。

 それに対してユリ・エギンは心が優しい。優しすぎる―――、それも悪魔に共感と慈しみを抱いている!」



受け入れるにはうってつけの器だろう、メフィスト。

実に愉快に笑う

に背筋が寒くなる。多少の接触でその程度まで心を見通すとは、兄の能力は計り知れない。

魔眼と恐れられるだけある…。唯の命を吸い取るだけの<眼>ではない、ということだ…。


自分も人間の心を読むのは得意としてきたが、彼女の性格を覗くには多少の接触と情報が必要である。



「メフィスト、勿論お前も、彼女の思想の危険性に気がついていたんだろう?

 悪魔を慈しむなど…… 幻想を抱いていた彼女に。」


「人間とはそういう生き物なのです、兄上。」



砂時計が落ち終えたのを見て、ティーポットからカップへと紅茶を注ぐ。

紅茶の芳しい香りが鼻孔を擽る。

兄よりも人間たちと多くの時間接触してきたこの身から見れば、彼女の思想は特に危険だとは思わない。

悪魔に恋をする人間だっている――― だからこそ、不思議で面白い。



「強ち幻想とも言い切れますまい…… 父上とユリ・エギンは現に――

「そうとも、愛し合っている。そして…… 

 あの父に!

 我らが父に命の尊さを説いていたのだよ、あの女……!


 父にだって命は作れる!

 人間というのはまったく思い上がった生き物だと思わないか!」


「兄上、落ち着いてください。 あなたの思っている命と、彼女の説いている命とは違うものです。」

「――― どういうことだ、メフィスト。」



忌々しい、と履き捨てた兄がテーブルに拳を下ろしたために割れる。

自分の紅茶はソーサーを持って非難させたが、あとは全部割れてしまったのでもうこれは使い物にならない。

ティーセットではなくなってしまった。―――、孤立している魔人のようだな。


兄は父の近くに居すぎた。 父を理解してはいない。


気を落ち着かせた兄に、笑いかける。


「あー……、兄上は人間を軽く見ています。 彼らは私たちが考えているよりもずっとユニークで、

 そして不愉快で、嘆かわしいほど愚かで反、理性的。 欲の塊です。」

「その程度知っている。」「いいえ、理解されていない。 ですからあの女を危険思想の持ち主だとして見ているのです。」

「物質界にも、虚無界にも、あの女は危険な存在だ!


 悪魔と人間は決して分かり合えない。」


「――… まあ、あの二人を見ていれば直に、その考えも変わりますよ。」



お前の考えには賛同しかねる、とため息をついた兄に、

テーブルとティーセットを破壊されたこの身の方がため息をつきたい気分だと、紅茶と共に言葉を飲み込んだ。


 

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